最期の日

      • 8:00

父「○○(私の名前)、お母さんと居てあげて」


そんな声で目覚まし時計よりも少し早い時間に起こされた。
そうか、母はずっと眠れずにぐったりしているんだと悟った。


両親の寝室に行くと思った通りのぐったりした
母がベットに頭をもたげて座っていた。
体調的にはもう立っているだけでフラフラしてしまう程で
息遣いが必死に息を吸っているという状態になっていた。
私はとりあえず母の隣に座り
「昨日決めた通りがんセンターに行こうね。8:30になったら電話するね。」
と言った。また大丈夫だからとでも言ったような気がする。


とにかく何か食べてもらわないと体が余計に弱ってしまうと思った。

私「お母さん、とりあえずバナナだけでも食べようね。」

母「バナナと…レイシ(母の飲んでいたお茶)…ロキソニン飲む」

父にもってきてもらうように叫んだ。


待っている間も母は座ったまま、病人らしい肌色の顔とまだ頭の輪郭がわかる程の髪を
チェックする為に、10秒か20秒に1度くらいの頻度で右前にある鏡台の鏡を覗いていた。
これだけ体調が悪いのに母は女性として容貌が気になってしょうがないのだ。


父が一式持ってくると、息苦しそうにしているわりに
お茶もバナナもいつも通りに食べられた。


母はしゃべるたびにむせてしまうにも関わらず
私に入院の仕度をするように言い、必要なものを何度か言っていた。


母「パジャマは1枚でいい」「タオルも1枚」「スリッパ」


12/29-30で温泉旅行に行った為にいつものかばんに
それなりに入っていたので用意はたいして手間取らなかった。
(本来母はいつも旅行に次の日にはバックは空にしてしまう人でしたが)

すると母がトイレに行きたいと言った。どうやら先程父に連れて行って
もらったらしが、小の方なのにうまく出なかったようだ。
しかし母はフラフラして1人で歩くと危なかったので
私が後ろから脇に手を入れて一緒に行った。


その間に時間は8:30になっていた。母がでてくるの待ちながら
がんセンターに連絡をするとすぐに来るように言われた。
あとは健康食品等々を保冷剤を入れて保冷バックに入れなくてはと思ったが、
母の元を離れるわけにいかずとりあえず着替えてもらわなければと納戸に向かった。


母がクリニックに着て行っていた服が丁度何着か出ていた。
私はいつも母が似合うと思っていた、確か亡くなった祖母から譲り受けた服を手に取り、
下の服を適当に持って行った。


母「ゴムのやつ」


どうやらパンツは違うのを持ってきてしまったらしい。
どれがどれだかわからなかったので手当たり次第母に見せてOKをもらった。


母は起きてからがんセンターに行くことを父に伝えたらしく父に伝わっていたが、
父はとにかく戸をあけたりと朝やる家事をやろうとバタバタしていた。

      • 9:00

あとは健康食品…と思ったが、父に「お父さん、健康食品をバックに入れて!」
と言うと「どれを?」を言われたので父とその場で母のそばにいる役割を変ってもらった。
急いで詰め込んで玄関に持って行くと父と母が2Fに寝室から1Fの玄関に下りてきた。
母に健康食品を見せてOKをもらった。


いつもなら玄関で「いってらっしゃい」と一言言うだけだったが、
この日はなぜか応接間の窓から車で出発する母を見送った。
助手席に座った母と一瞬目が合った。先程同様母は力ない目をしていた。

      • 10:00

病院に着くなり、車いすを用意されたそうだ。
そして青シャツ(主治医)と会うなり、すぐに個室とCTと血液検査を手配された。


父からその都度電話がきた。

父「普通の人の半分以下しか呼吸出来てない状態だって。個室用意された。」

      • 11:00


父「肺炎になってるって、肺が真っ白だって。」


父「本当に酷い状態で、今夜がヤマかもしれないってさ。」


父との電話の後、また泣いていた。母ががんだと知らされた時のように。
しかし、動揺しているとTwitterの仲間から応援のメッセージを貰った。


そうだ…
がんにここまで打ち勝った人なんだから肺炎くらい乗り越えてくれる!
今夜は病院に泊ってしっかりサポートしようと決意して準備をしていた。
会社に状況を伝え、とりあえず抜けることをお願いした。
恐らく私は自分をしっかりさせないとという気持ちと混乱していたせいか
準備といっても何を準備すればともたもたしていたのだろう。


そして…11:58。父から電話が来た。


父「……お母さん今亡くなった。」


私「え?……どういうこと?え?お母さんが…えっ…どーして!どーして!」


私は自分の部屋で椅子に手を置いたまま膝から崩れ落ちた。